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大ソナタ悲愴

  • 執筆者の写真: 田中 利加
    田中 利加
  • 4月28日
  • 読了時間: 3分

夢の中のピアニスト Vol.150

【大ソナタ悲愴 ソナタ8番】


春爛漫の今日このごろ、教室では、花が見事に咲いてくれました。

羽衣ジャスミンも咲き始め、とても良い香りがします。


さて、今日は、多くの大人の生徒さんが好きな作曲家、


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

(独: Ludwig van Beethoven)


のことを感じてみたいと思います。

今、ベートヴェンのソナタ8番を二人の方が弾いていますので、「悲愴」について考えてみようと思います。

標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフンに近いそうです。

1770年12月16日頃の生まれです。(1827年3月26日亡)ドイツの作曲家でありピアニストでした。

音楽史において極めて重要な作曲家の一人で、日本では「楽聖」とも呼ばれています。

その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆とされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えるのです。


彼は、バロック音楽のバッハの時代から少し時を経て古典派といわれる時代に活動していました。ベートーヴェンは、貴族の方を楽しませるだけではなく、自分の気持ちを表現したいと、ロマン派へのあしがかりを作っていきます。


ベートーヴェンのピアノソナタ第8番には「大ソナタ悲愴(Grande Sonate pathétique)」という標題が付けられています。

悲愴とは「悲しく痛ましいこと。また、そのさま。」と辞書では出てきます。

悲愴を作曲していた頃は、ベートーヴェンが耳の異変を感じ始めた時期でもありました。

「ベートーヴェンの難聴」と「悲愴」の関連はわかっていませんが、少なからず関係していたのかもしれません。

ベートーヴェン自身が標題を付けた作品は少なく、合計32曲あるピアノソナタにおいては第8番以外には第26番「告別」があるのみです。

三大ピアノソナタの「月光」も「熱情」もベートーヴェンが付けたものではありません。

「ピアノソナタ第8番(悲愴)」は、カール・リヒノフスキー侯爵(Karl Lichnowsky, 1761年-1814年)へ献呈されました。

リヒノフスキー侯爵は、ベートーヴェンの最も有力な後援者の1人として有名な人物です。

リヒノフスキー侯爵は、モーツァルトを経済的に援助したことでも有名です。

侯爵はモーツァルトとも、最終的に金銭の問題で揉めています。

侯爵は、ベートーヴェンを1796年にプラハ、ベルリンへ演奏旅行に連れ出し、1800年から1806年までの間は、侯爵はベートーヴェンを経済的に支援します。

ベートーヴェンはこの作品の他に、「交響曲第2番」「ピアノソナタ第12番」も侯爵に献呈しています。

ただしこの関係は長くは続かず、ベートーヴェンとリヒノフスキー侯爵は、1806年に喧嘩別れをしています。


経済的には豊かではない音楽家は情熱を音楽に注いでいきます。


このピアノソナタは「青春の哀傷感」を感じます。晩年の作品の様な悲劇性とは違って哀愁が漂う感じです。こういう自分の情感を音楽で伝えようという気持ちがしっかりと感じ取れます。劇的な曲調と美しい旋律は初期のピアノソナタの最高峰ですね。


是非、お聴きください。


アシュケナージの音楽でお楽しみください、


 
 
 

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