美しく青きドナウ
- 田中 利加
- 4月28日
- 読了時間: 3分
夢の中のピアニスト Vol.151 2025.4.27
【美しく青きドナウ】
ヨハン・シュトラウス2世(ドイツ語: Johann Strauss II. (Sohn) 1825年10月25日 - 1899年6月3日)という作曲家をご存知の方も多いと思います。
オーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者です。同じ名前のお父様がいらっしゃいます。
お父様は、音楽家は食べていけないから、音楽家にはならないように、と、思っていたようですが、ピアノだけは、その当時多くの人たちがそうであったように、彼も練習させてもらっていました。
彼が生まれたのは、ベートーヴェンが亡くなる2年前でした。
当時ヨーロッパでは、ナポレオン(民衆に自由で平等な新社会を構築するなど、内政の統制にも尽力した若き皇帝)が自由主義を訴えて、皇帝となりましたが、失脚し、また、王政復古の時代になっています。ヨハン・シュトラウスの生まれる10年前に、ワーテルローの戦い(私が小さい頃は、ウォーターローの戦いと言っていて、アンダーソン=ギルマン (Wilma Anderson-Gilman)作曲のピアノ曲があります。)がありました。
父はすでに有名な音楽家になっていました。が家庭を顧みない方だったので、ヨハンシュトラウス2世は音楽をしっかり勉強して父親に対抗していきます。
現在、ワルツ王と言われるヨハン・シュトラウスは、ヨハン・シュトラウス2世のことです。
生涯で500曲を超える曲を残し、ウィンナ・ワルツの黄金時代を確立しました。
今回の主役、「美しく青きドナウ」は、第二のオーストリアの国家ともいわれています。
元々は『美しく青きドナウ』は男声コーラス向けに作曲された歌曲でした。当時の歌詞はあまり評判が良くなく、後に歌詞も変わり、管弦楽曲としても編曲されて、人気が出るようになりました。
現在でも、ウィーン少年合唱団によるレパートリーの一つとして演奏・合唱されます。
初めについた歌詞は、ヴァイルという警察官として働く人物が作りました。
彼の詩は猥雑で愉快なものとして知られていました。この曲のできた前年の1866年に普墺戦争があり、わずか7週間でプロイセン王国との戦いに敗れてしまい、オーストリアの人たちは、意気消沈していたようです。そこでヴァイルはこうした世相において、プロイセンに敗北したことはもう忘れようと明るく呼びかける内容の愉快な歌詞を付けました。でも時代は変わるため、歌詞の内容が時代と合わなくなり、現在の歌詞になりました。現在の歌詞は最終的に1890年、フランツ・フォン・ゲルネルトによる現行の歌詞に改訂されたものです。彼は裁判所の判事でした。そしてこの歌詞は国歌にもふさわしいものとなりました。
いとも青きドナウよ、
なんと美しく青いことか
谷や野をつらぬき、
おだやかに流れゆき、
われらがウィーンに挨拶を送る、
汝が銀色の帯は、
国と国とを結びつけ、
わが胸は歓喜に高鳴りて、
汝が美しき岸辺にたたずむ。
ヨハン・シュトラウス2世は 、家族を支えるため頑張られたようです。でも忙しすぎて体調は良くなかったと聞いています。
それにしても、こんなにも軽く楽しいワルツをたくさん残してくださってうれしいです。新年の音楽にピッタリですね。ニューイヤーコンサートには必ずプログラムに入ります。
ピアノでも弾いて楽しみたいと思います。
Comments