夢の中のピアニスト Vol.134 2022年8月28日
- 田中 利加
- 2022年8月29日
- 読了時間: 4分

朝、虫の声が聞こえてきました。秋ですね。
ものすごい暑さも、和らいで来ています。近所の小学生は夏休みも終わり、学校へ通い始めました。
さて、今回は、ピアニスト 『ニキータ・マガロフ』と『マルタ・アルゲリッチ』について、書いてみたいと思います。なぜなら、二人が同じ曲を弾いているCDが今手元にあるからです。
1912年生まれの『ニキータ・マガロフ』と、1941年生まれの『アルゲリッチ』。
一時期二人は師弟関係にありました。
ニキータ・マガロフはロシアの生まれで、その後いろんな国で育ち、ジュネーブに落ち着きます。ハンガリー生まれでアメリカに移住した、有名なヴァイオリン奏者のヨーゼフ・シゲティの伴奏者となり、その娘と結婚します。そして、ジュネーブ音楽学院で後身の指導に当たります。そこに生徒としてマルタ・アルゲリッチが入ってくるのです。
第二次世界大戦が終わった頃の音楽界は、ロマン派を排除しようという雰囲気になっていました。ニキータ・シゲティはロマン主義的な情緒を排除した新しい演奏スタイルを確立した演奏家です。でもニキータ・マガロフはそういう時代の流れの中で、伝統的な演奏をも愛す演奏家でした。
晩年になると、表現に情熱と柔軟な生命力がみなぎるようになったと言われています。
そして、壮年期と同じ打鍵水準を保って演奏や録音に取り組んだようです。
生涯を通じて、高潔な表現と自然な情感、ゆっくりとしたテンポ設定、作品と作曲者に奉仕しようとする姿勢は一貫していました。
自分の演奏について
「叩くのではなく音をすくい上げる」
と言う言葉は私の先生も良く使っていました。
彼の友人にはモーリス・ラヴェルやセルゲイ・プロコフィエフがいます。
では、マルタ・アルゲリッチはどんな人なのでしょうか。
アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。
保育園時代に男の子から「ピアノなんて弾けないだろう」と言われその場ですぐに弾けてしまったため、ピアノの練習を始めました。
8歳で公開コンサートしてたくさんのファンの心をつかみます。当時のブエノスアイレスの知事が大ファンだったため、大統領にも紹介し、その才能を発揮させました。大統領は喜んで、「誰に習いたいか?」と聞くと「フリードリヒ・グルダに師事したい」と伝えると彼女の父を外交官に任命してウィーンに赴任させました。
そこで2年間グルダに師事しています。
マルタ・アルゲリッチは、数々のコンクールで優勝しながらも、自身の研鑽を常に忘れず、勉強を重ねていました。2014年の映画「私こそ音楽」にも少し描かれています。
マルタ・アルゲリッチは、3回の結婚と3回の出産で、三人の女の子の母となります。
私生活のことはあまり知られていないのですが、この映画の「予告編」で少しだけわかります。
https://cinerack.jp/argerich-movie/
ご興味のある方は是非映画を観てみてくださいね。
ということで、お二人のCDが今私の手元にあるので聴き比べてみました。
ショパン作曲 『プレリュード(前奏曲)Op.28』
遺作(作者が生前に世に出す作品として制作し、結果的に発表されないまま死後に遺されたもの)を含め、26曲あります。
いろんな映画に使われるショパンのピアノ曲ですが、このプレリュードという曲集からは本当にたくさんの曲が使われています。人の心を打つ曲がたくさんあるからだと思います。
私は、4番、18番、24番を聴くと胸にこみ上げるものがあります。
皆さんはいかがでしょうか?
私は、この二人では、ニキータ・マガロフのショパンの方が好きですが、曲によっては、マルタ・アルゲリッチの方が気持ちにしっくりくるものもあって、久しぶりに聴く二人のショパンに圧倒されています。
少しずつ涼しくなってきました。ショパンの似合う季節です。
是非、聴いてみてくださいね。
私の大学入試の第1次試験が、このショパンのプレリュード8番でしたのでとても思い出深い、そしてどの曲よりもたくさんの時間を弾いた曲になりました。毎日高校へ通いながら、7時間から10時間をこの曲を含めて5曲弾いていたのを昨日のことのように思い出します。

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